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勝手に Short Story 〜歌の中の風景〜



花瓶 Part2
(作詞・作曲:角松敏生)



それは、結婚式の真っ只中。彼女の指に指輪をはめた後のこと。

彼女は、緊張してこちらを見つめていた。
「どうしたの?」
僕は小声で問い掛けた。次は、僕の指に指輪をはめる番なのに。段取りを忘れてしまったのだろうか?

そのまま、動かずに見つめ続ける彼女。
みるみるうちに、瞳に涙がたまっていく。
「サエちゃん?」
驚いて、呼びかける。涙?どうして?

「…ごめんなさい…」
突然そう呟くと、彼女は指輪をはずし、踵を返して走り去った。
一瞬の出来事のようだった。

…ごめんなさい?
しばらく、呆然。状況が理解できなかった。
…ごめんなさい?

バタンッ。
チャペルのドアが閉まる音。
フッと我に返ると、彼女の姿はもうなかった。
両親は蒼い顔をしていたし、来客は騒々しい。
みんな口々に何かを言っていたが、僕には何も理解できなかった。

…ごめんなさい?

そのまま、僕はどうやって控え室に戻ったのか、覚えていない。
覚えているのは、思考が止まってしまったことだけ。
何も考えられない。何も。

…ごめんなさい…。

その言葉が意味もなく、渦巻いて。
僕は…このまま溶けてしまいたかった-----。


******



彼女と知り合ったのは、10ヶ月前の、実家に通う保険屋のすすめるお見合いだった。
そろそろ僕も30歳だし、結婚してもいい頃かなとなんとなく思いはじめた頃。両親も心配してるし。これもいい機会だと思った。初めてのお見合いだった。

初めて彼女と会ったとき、僕はなんてラッキーなんだろうと思った。
彼女は、瞳が印象的な、整った顔立ちの女性だった。印象的----少し、影があるような。哀しみをたたえた瞳…そんなイメージ。すごく魅力的な人だった。
初めてのお見合いで、こんな素敵な人と出会えるなんて。
今まで、いろんな人と付き合ってきたけど、こんなにときめいたのは久しぶりかも。
少し浮かれすぎていたのかもしれない。
3回目のデートで結婚を申し込んだとき、彼女は僕の瞳をまっすぐ見つめて、こっくりうなずいた。
僕の人生も、捨てたもんじゃない。そのとき僕は、本気でそう思った。


悪夢の結婚式から数日後。彼女はご両親と謝罪に来た。

ごめんなさい。どうしても、あなたとは結婚できないのです。
彼女も、彼女のご両親も、平謝りに謝った。そして、結納金より多い額を置いていった。
金、か?
そんなもの。
僕とはどうしても結婚できない?
なら、なんであのとき、うなずいたのか。なぜ、お見合いなんかしたのか。
いろいろと言いたいことは山のようにあった。
でも、それはすべて暗闇に飲み込んだ。


それから、数週間後、僕は会社を辞めた。
一流大学を出て、一流企業に入社して、絵のような理想的な道。
一つが崩れ始めると、壊れてしまうのは早かった。

僕の行く先々では、いつもヒソヒソ声が絶えない。
そういうことに、かなり敏感になっていた。まわりが気になって仕方なかった。
結婚式には、上司、先輩、同輩、さまざまな人間が出ていた。
花嫁に逃げられたことを隠すこともできない。

あいつはバカだなぁ。
なぜそんな女を選らんだのか。
…さんってかわいそう。

冗談じゃない。
かわいそうなんて、言われたくない。
こんなこと、やってられるか。

知らず知らずのうちに、酒量が増えていく。
一人、しんみり飲むことが多くなった。
一人飲む酒は、少しだけ、哀しみに満ちていた------。


いつから、僕はこんな無気力な人間になってしまったのだろう。
朝から晩まで、何をする気にもならない。
虚ろな心をもてあましながら、自分をどうしたらいいのか、わからない。
いったい、いつまでこんなことを続けるつもりだろう。
こんな状態がいけないなんて、自分でもわかっている。でも…。
わかっていても、どうにもならないことってあるだろう。自分じゃ、どうにもならない。この虚しさを消すことができない。
いつまでも、彼女を責めてみたり。自分を責めてみたり。相手のやつを呪ってみたり。

哀しみは、時間と比例して大きくなるばかり。
何かが間違っている。それはわかっている。
でも、大きな哀しみに取り込まれることで、今の精神を保っている----そんな自分がまた…哀しい……。



それは、知らず知らずに入ったライブハウス。
そこで、彼女を見かけた。
1年ぶりくらいに見た彼女は、ますます美しく輝いていた。
店の端っこで、歌う彼を熱心に見つめている。
そういえば、昔の彼は売れない歌手だったって、聞いたことがあったような気がする。
ということは、こいつが…、そうなのか…。

ライブハウスの歌手なんて、そんな不安定なやつに負けたのか、僕は。

そいつは、熱い声で「情熱」を歌う。
そいつは、甘い声で「愛」を歌う。
そいつは、優しい声で「夢」を歌う。

そして、彼女は。うっとりと、夢見るようなキラキラした瞳で、彼を見つめ続ける。
夢見るような、キラキラした。
最初から、負けている。僕はそう思った。
僕が惹かれた彼女の瞳は、いつも憂いに満ちていて、ミステリアスな哀しみを漂わせていた。彼女には、いつも闇があったような気がする。心の闇-----それは、やっぱり彼のこと、だったんだろうか…。
こんな晴れ晴れとした笑顔は、見たことがないかもしれない。
思いつめていたものが、すっかり解き放たれてしまったような。無垢な笑顔。


そいつは、心の底から歌っていた。夢。愛。情熱。


僕は、いつから夢をなくしてしまったのだろう。
今の僕には、そいつと彼女を張り合う術さえ何もない。
僕には、自信を持って勝てると言い切れるものが何もない。何も。

僕は何をやっていたのだろう。
僕が哀しかったのは、何が原因だったのか。
「花嫁」に逃げられたことが悔しかったのか。
せっかくの結婚式をぶち壊されたのが、腹立たしかったのか。
いいや、違う。
僕は彼女を愛していた。
短い間だったけど、本当に愛していたんだ。だから…彼女と結婚できなかったことが哀しかったんだ。
彼女の愛が得られなかったことが…。

いったい僕は何をやっていたのだろう。
後ろ向きにウジウジしているだけじゃ、彼女を取り戻すことなどできないのに。
彼女を取り戻す?
どうやったって、無理だろう。でも。

僕の夢はなんだったのか。遠い昔に見た夢?宇宙飛行士?
いや、別に昔の夢を追いかける必要はないだろう。
今の僕の夢を追いかければいい。
僕はしがないサラリーマンだったけど、それなりに夢を持って仕事をしていた。
大きな仕事を達成する。数十億の物件を受注できたときの達成感は、最高だ。
素直に自分はすごいって思うことができる。

僕は…ほんとに何をしていたんだ。
自分の生きがいであった仕事までやめてしまって。


気が付くと、アンコールの終わった彼に、彼女が優しく寄り添っていた。
幸せな二人。不幸せな僕…。
フっと視線に気づいたのか、彼女がこちらを向いた。少し驚いた、困惑顔をし、そして、軽く会釈した。彼もこちらに気づいて、そして…。

その後は、見ることができなかった。正視に絶えないってやつ。逃げ出すように店を出る。
自分がこんなに弱いとは、思ってもみなかったけど。

いつか、あの二人を心から祝福できる時が来るのだろうか。
いつか。

バタンッ。
ドアの閉まる音がした。外の冷たい空気で、少しだけ気持ちが引き締まる。
ここが、新しいスタートラインだ。
今度会うときは、僕だって負けてない。
いつか、きっと。

ふっ。
心の区切りなんて、きっかけさえあれば、簡単につくもんなんだな。
今の自分の顔は、きっと笑ってるに違いない。

明日、新しい就職先でも探してみよう。
僕の、輝ける未来のために。
幸せな、人生のために。

明日-----------------------。




<fin>
OVER THE MOON