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勝手に Short Story 〜歌の中の風景〜



しあわせになるために by Lさん
(作詞:岩里祐穂,中山美穂/作曲:日向敏文)



A子はとても美人でした。いやB夫にはそう映ったのかも知れません。
A子は母一人娘一人の家庭で育ちました。早くに父を亡くして女手ひとつで育てられたのです。会社で知り合ったB夫は生まれも育ちも良くてハンサムで真面目でした。いえ、A子にハンサムと映っただけかも知れません。
付き合い始めて半年ほど経過した頃、A子はB夫に自分の身の上を告白しました。父のいない事や傾きかけた古い木造住宅に住んでいる事を。半年間、何も言えないのでした。大学も奨学金で卒業したのでした。自慢できるのは家のまわりの菜の花が春になると燃えるように美しく咲き近くの清らかな川のせせらぎが聞こえることくらいでした。
B夫は「何の問題もないでしょ」と笑って答えました。「きっと僕ら、いい夫婦になると思うよ」というプロポーズの言葉を逆に受けたのです。A子は家に帰ると母に報告しました。気丈な母が「よかったね」とめったに見せない涙を見せました。

やがて夫婦としてスタートしました。これからどうやったら幸せになれるか、楽しい生活が送れるかを二人は散歩しながら、レジャーに出かけながら話し合ったのでした。A子の母は一人暮らしとなってしまいましたが、娘の幸せを考えると、何の苦にもなりませんでした。二人はB夫の両親が買ってくれたマンションで生活し、やがて5年の月日が流れようとしていました。

子供はできませんでした。歳月の経過と共に最初の頃誓った愛も口に出さなくなっていきました。A子はマンネリにうんざりしてパートも始めました。B夫は仕事が忙しくまた子供もいないのでついつい帰りも遅くなり、休日もゴルフか寝ているか、になりました。A子はもっと二人でいる時間が欲しかったし、いっしょに散歩するだけでもいいから外に出たかったのです。買い物も、もっといっしょに行きたいのにB夫は何もしてくれず、いつしか給料さえ持ってくればいいのだと考えていました。

話をB夫は聞いてくれません。A子はとりあえず別居する決心をしました。年老いた母に心配をかけるのはすまないけれど、このままでは夫婦は壊れると思ったのでした。ある日、A子は思い切って家を出て実家へ帰ったのです。

B夫は一人になってみて初めて気づきました。結婚3年目くらいまでは休みと言えばいっしょに出かけ、お互いの誕生日にはプレゼントを渡し、結婚記念日には食事に出かけたのに、ここ2年くらい、何もしていないし、妻の話さえ聞いてやっていないのでした。
自分が悪かった。妻の実家に迎えに行こう、と思ったのでした。
電話をかけてA子に詫びました。出逢った日の気持ちは変わっていない事をA子に告げました。A子はそっけなく電話を切りましたがとても嬉しかったのです。

晴れた日曜日、B夫はA子の実家へ向かいました。A子は家の前で待っていました。
「あっ!B夫さんだ」通りの向こう側にB夫を見つけたA子は嬉しさのあまり走り出しました。B夫は「危ない!」と叫びましたが遅かったのです。A子は大型ダンプにはねられました。即死でした。

A子が死んでしまってからのB夫はぬけがらのようでした。そして後を追う事を決めたのです。マンションもひきはらい、B夫の実家へ帰り、A子の母のもとへ最後のあいさつに行きました。A子の母は長い間の苦労で勘が鋭くなっていたのか「あなた死ぬ気ね、A子はもう死んでいないのよ、再婚を考えなさい」と告げたのです。「あの子はあの日、死ぬ運命だったのよ。あなたには明日がある」と言いました。また「あの子の分まで人生を楽しまなくちゃ」とまで言ってくれたのです。B夫は泣きながら「すいません」と言うことしかできませんでした。
A子の母は気丈でしたがB夫が帰った後泣きじゃくったのは言うまでもありません。

あれから5年の歳月が流れました。今B夫はC子と再婚して半年目でした。C子には全て事情を話した上での結婚でした。A子の墓はA子が大好きだった菜の花畑が見えるお寺で、そこからは川も見えます。B夫とC子はお墓参りにいっしょによく行きます。そしてA子の母にもよく逢います。A子は身を持って夫婦の絆の大切さを教えてくれたのでした。第三者から見ると、とても奇妙な感じかもしれませんがB夫とC子とA子の母はお彼岸にはいっしょにお参りをします。時にはC子が一人でA子のお墓を洗ったり、花をあげたりします。今の幸せがA子がくれたものだと一番実感しているからです。そしてお墓に手を合わせると「幸せになるために」という中山美穂という美人歌手が歌っていた歌が流れて来る気がしました。その詞は「小さな願いこそ普段が大切」と言っているような気がC子にはしましたし、「誰も代わりになれないの」と言っているような気もしました。
そして「C子さん、あの人を甘やかさないでね、あなたも出逢った日の事を忘れずに幸せになってね」というA子の声が聞こえてくる気もしました。
B夫も本当にC子を大切にしました。「A子の分まで」と考えたからです。そんな姿を見たA子の母は「今は死んでしまってもういないけれど、あの子を産んで、苦労して育てて本当によかった」と思うのでした。

今年もまた春が来ました。お寺の周りは菜の花が燃えて、川は夕ばえに真っ赤に染まっています。




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