アンカラ
Turkey '97 -OVER THE MOON2-

アンカラは、ウルス地区をちょこっと廻っただけなので、たいして書くこともないのですが…(苦笑)。

■交通
アンカラで便利なのは、バスと地下鉄だ。
市内バスは、非常にたくさん走っている。バス停を見つけて、乗ってみよう。ただし、運転は結構荒かったような印象が…(苦笑)。降りるところを見せておけば、親切な運転手さんは教えてくれる。
地下鉄は、新しいせいか、非常にキレイだった。ウルス、クズライあたりの中心を走っていた…ような気がする(苦笑)。

■アンカラ城跡アンカラ城跡
ウルス地区の丘の上にあるアンカラ城跡。上の方から、アンカラが一望できる。
城壁は、セルジュクトルコ時代に修復され、現在もまだ残っている。城壁の中では、今でも人々が生活しており、なかなか興味深いものがある。
アンカラ城の城壁は、もともと内外二重になっていて、内側の城壁は7世紀にアラブの侵攻に備えてビザンティン帝国が築いたもの。その基礎になったものはローマ時代である。外側は、9世紀のビザンティン皇帝ミハイル2世が、さらに激しくなったアラブ侵攻を防備するために増強したもの。

■アナトリヤ文明博物館
アンカラ城跡から程近いところにある文明博物館。もともとは隊商宿として建てられ、15世紀に貴金属市場となったものを博物館に改造した建物。
展示物は、すべてアナトリアからの出土品。
回廊にそって、年代順に並べられているので、とても見やすいつくりとなっている。
ヒッタイトの遺物を中心に、文明の始まりから新石器時代の遺品、青銅器時代、アッシリア植民地時代の遺品、ローマ時代まで。かなり充実してると言えよう。
この博物館には、ヒッタイトの遺跡にあったものがそろっている。私達は、翌日、ヒッタイトの遺跡へ行くことになっていたのだが、そこには現在はレプリカが飾られていて、実物はこの博物館にあるという。もし、ヒッタイトの遺跡(ボアズカレ)に行く予定の人は、ぜひぜひ行ってみて。


ボアズカレ
ここは、純粋にヒッタイトの遺跡が見たくて行った。アンカラで個人ツアーを頼んだため、現地の交通等は一切わからない。アンカラから、車で2時間半〜3時間くらい…だったかな?(笑)

ヤズルカヤのレリーフ ■ヤズルカヤ遺跡
ここは、ハットゥシャシュの聖地である。岩場をそのまま利用した露天神殿で、岩に刻まれたレリーフに祭儀の様子が記されている。
ハットゥシャシュからは2Kmほど離れているが、レリーフ等かなりはっきりと残っており、実際に目にするとかなり感動してしまう。一見の価値あり…っていうか、ここまで来たら、必見。

■ハットゥシャシュ(ボアズカレ遺跡)
ヒッタイト王国の首都である。とりあえず、ヒッタイトの説明をしよう。
ヒッタイト王国は、紀元前2000年頃にアナトリアに移住したインド・ヨーロッパ語族系の民族が築いた帝国。首都は、ボアズカレ村のハットゥシャシュ。紀元前17世紀頃にはシリアまで進出するが、ミタンニ王国の侵攻や内紛のため衰退。しかし、紀元前15世紀には再興し、さらにラムセス2世率いるエジプト軍と交戦するなど勢力を伸ばした。すぐれた騎馬技術と鉄器の使用により一大帝国を築くが、紀元前12世紀頃に進入した海洋民族に滅ぼされてしまう…と、こんな国である。歴史の授業で習っていると思うけど、思い出していただけただろうか(笑)。ボアズカレ遺跡

まずはじめに見えるのが大神殿。165m×130mという実に大きなものだが、土台しか残っていない。土台となる石には、規則的に穴があいていて、これは杭をさして固定するためのもの。建築技術が確立されていたようだ。
写真は、もう小さくってよくわからないとは思うが、大城塞(Bueyuek Kale)全景である。大城塞はハットゥシャシュのアクロポリスと言うべき一角で、初期につくられ、一般に「下市」と呼ばれている。
ヒッタイトが勢力を増した紀元前14世紀には、下市の上方に新しい都市を建設。それが「上市」である。 小高い丘を上の方に登っていくと、神殿を囲むようなカタチで城壁が続く。そこには、3つの門がある。獅子門、スフィンクス門、王の門。それぞれにレリーフが施されており、なかなか見ごたえがある。王の門のレリーフについては、ここにあるのはレプリカで、実物はアンカラのアナトリヤ文明博物館に展示してある。



参考文献
地球の歩き方「イスタンブールとトルコの大地」(ダイヤモンド社)