新美南吉のふるさと巡り(愛知・半田) by sachi 今回は名鉄が毎週行っているハイキング電車沿線コースということで、「半田 蔵の街と矢勝川彼岸花コース」に参加してきた。半田市といえば新美南吉。「ごんぎつね」とか「手袋を買いに」とかを書いた童話作家だけど、ご存知だろうか?半田市には新美南吉ゆかりの地、童話で登場する風景等がたくさんあるのだ(ちなみに私の高校の大先輩である)。今回は名鉄のハイキングということで全9.5kmを歩いたけど、「新美南吉」というポイントでまわっても充分散策が楽しめると思う。事前に童話を読んでいくのがベストかも(笑)。 さて、今回のコースは名鉄知多半田駅出発で「知多半田駅→半田運河→酒の文化館→紺屋海道→赤レンガ(旧カブトビール半田工場)→住吉神社→南吉の生家→常福院→矢勝川→新見南吉記念館→南吉の養家→半田運動公園」というもの。ちなみに知多半田駅へは名古屋から河和行きか内海行きに乗って急行で30分くらい?このコースだと実はJR半田駅の方が近かったりするけど(苦笑)。車で行くなら知多半島道路(半田常滑IC)を通ってくるのが速いかな? まずはJR半田駅方面に向かって歩く。知多半田駅を出てすぐにおばさん方がお店に。ミスドに入って休憩する人たちも。こういうハイキングにおける地元のお店の経済効果はどのくらいだろうなんて思わず考えたりして(笑)。 半田といえばもう一つ有名なのはミツカン酢(中埜酢店)。オーナーの中埜氏はここらへんの名士である。JR半田駅を越えたあたりからミツカン酢本社のビルが見えてくる。そのまままっすぐ行くとミツカン酢の「酢の里」という博物館へ。入り口だけ入って説明に1時間かかると聞き、今回は断念。かなり興味深い内容だったのでちと残念。 そのままさらにまっすぐ行くと半田運河。ここらへんは蔵の街のいわれである黒板囲いの蔵が立ち並んでいる。そして、大きなミツカン酢のマーク!あたりを見回すと、なんだかミツカン酢一色って感じ?(笑)半田高校出身の私にとって半田は地元のようなもの(のわりにはあまり知らない)だけど、ここらへんはなかなか情緒豊かな風情のある地域かな?と(笑)。お天気もよかったし、絶好のお散歩日和。運河沿いにぶらぶら歩くのは結構気持ちがいい。 運河を離れてすぐのところに酒の文化館がある。中埜酒造の国盛というお酒はご存知だろうか?愛知県では有名なお酒だと思うのだけど、ここは中埜酒造が運営する酒の博物館である。入館無料。古い酒蔵を利用した建物の中で酒造りの製造方法なんかの説明がある。昔の酒造りのジオラマなんかがあって結構わかりやすいかななんて思った。ただ今回はハイキングコースの一部だったのでおそらく簡単な説明で終わっていて説明映像とかもあったんだけど私たちはカットしてしまったので多分堪能しきれてはいないのかもしれない。休憩室では酒の試飲もできると聞いていたのだけど(笑)。同行した友達が「お酒の製造方法は酢と似ている」と言っていた。同じ中埜一族が運営する中埜酢店と中埜酒造。やはりそんな共通点があるからなのだろうか? 酒の文化館を出てから順正寺までは普通の住宅街。順正寺を過ぎるとそのまま紺屋海道へ入っていく。紺屋海道というのは江戸時代の上半田(坂田郷)のメイン通りで半田港が開かれるまでの間、千石船の出入りする大野港(知多市)と下半田を結ぶ交通の要所であったといわれている。南吉も半田駅へ行くときや行きつけの喫茶店(カガシヤ)へ行くときなどにこの道を歩いたそうだ。なんてことも今日はじめて知ったのだけど(苦笑)。 この海道を抜けると通称「赤煉瓦」こと旧カブトビール半田工場が見えてくる。私は「赤煉瓦倶楽部半田」というサイトを以前から知っていてこのところ「赤煉瓦」というものに興味を持っていたせいか、ここに来ることを楽しみにしていた。一般公開はあまりされていないところなので。中ではライブが行われていた。正直、説明とかが聞き難くてうるさい!って思ってたんだけど(苦笑)。昔は電気も通っていないのでビールを貯蔵するために0度に保つよう建築方法で工夫されていた。第二次世界大戦時には中島飛行機製作所の資材倉庫だったせいか、壁には機銃掃射跡が生々しく残っていてなんだか不思議な感じだった。一番上の方の窓がステンドグラスになっていたので近くで見てみたかったけど、それは叶わず。確かに階段を昇るのはちと怖いかも(笑)。 次は住吉神社。ここは住吉町駅のすぐ近く。私の高校はこの駅の最寄り駅なので、昔友達の家に遊びに行くときに通ったなぁなどと思いながら歩いた。 さて、半田中学、踏み切りを越えて半田口駅を右手に見ながら進んでいくと南吉の生家がある。係のおじさんがなんちゃら街道となんちゃら街道のちょうど交差点がここです!と説明されていた。その家は街道の交差点にちょうどあったらしい。後で説明書きを読んでみると、知多半島を縦断する街道と横断する街道がちょうどここで交差していたらしい。交通の要所である。近くには道標も残っていた。 写真で見てもらうと一見平屋に見えると思うけど、実はこれ2階建てになっている。ここは2階なのだった。急な梯子状の階段を下りていくと小さな居間みたいなものが。まるでおままごとの部屋のよう。南吉は大正2年にこの家で生まれた。童話「狐」や小説「雀」「帰郷」などの舞台で、南吉が亡くなる2ヶ月前に「狐」「小さい太郎の悲しみ」など最期の作品を書いたところだ。 常福院は中へは入らなかったけど、同じハイキングと思われるオバサマがたが門の外から拍手を打って拝んでいた(笑)。 少し進むとででむし広場に出る。ここは通称「安川」が矢勝川に合流するところに作られた小広場でその名前は南吉の書いた詩に由来する。この日はいいお天気だったので、子供たちがたくさん遊んでいた。ここらへんから矢勝川沿いに歩いていく。今回のメインはこの矢勝川沿いに100万本植えられている彼岸花だった。写真の彼岸花はそれは見事で、これは行かないと!と思わせた。ところがである。今年は天候に恵まれなかったせいか、少し遅れているようで。あんまり咲いていなかった。あと1、2週間ってとこかなぁ…(苦笑)。…これが目的で参加したんだけど…(苦笑)。非常に残念だったけど、一面の彼岸花を見ることはできなかった。ま、近いんでまた行けばいいんだけど。ででむし広場のあたりよりはもっと先の方には多少咲いていた。こうやって写真に撮るとすごく咲いていたような気になるかも(笑)。一面の彼岸花素晴らしくきれいだった。パンフレットを扱っているテント(笑)があって、アルバムに綴じた写真が置いてあった。 そういえば矢勝川といえば「ごんぎつね」である。兵十がお母さんのためにうなぎをとっていた川が矢勝川で兵十のお母さんのお葬式で彼岸花が咲き乱れている中を行列するシーンがあるけど、それがやはりここらへんのことらしい。まさに童話の舞台になっている場所(笑)。 川沿いを1kmくらい歩いたところにそのテントがあってその先に南吉記念館があった。南吉記念館の庭のようなところが童話の森となっていて「手袋を買いに」碑なんかもあった。建物自体は非常にシンプルで、なんだか童話の森と一体化していた。南吉の一生を時代別にまとめてあって、非常にわかりやすくなっていた。一番気に入ったのは絵本のジオラマ。代表作の何作かについて各場面ごとにジオラマが作ってあり説明書きがついていた。まるで絵本を読んでいるようで、面白かった。南吉の童話は教科書に載っていた「ごんぎつね」と「手袋を買いに」、小さい頃に読んだ「牛をつないだ椿の木」「おじいさんのランプ」などなど有名なものしか記憶にないけど、なんだか懐かしく思い出せた。最近の私はとっても涙もろいので、いちいち泣けるところがちと恥ずかしかった(苦笑)。入館料210円。そのわりには結構楽しめた。 さらに矢勝川沿いに進んだ。終わりの方でようやく彼岸花が群生している雰囲気を味わえた…とはいえ、全然少ないけど。川沿いを離れて南吉の養家へ。南吉は8歳の頃、実母の実家へ養子に入っている。もっとも祖母との生活がさびしくてすぐに戻ってしまったのだけど。「新美」というのは祖母の苗字だ。余談だけど、半田には「新美」という苗字の人がたくさんいる。「榊原」には敵わないけど(笑)。養家の土間に座っていたら、おばさんたちが土間に置いてある古い機械みたいなものを見ながら「まあ、懐かしい」と話していた。彼女の家にも昔あったそうだ。…てか、その正体がなんなのか、全然予想できなかったんだけど(苦笑)。 養家の裏の土蔵は資料館になっていた。 その後はひたすら歩くのみ。ゴールは半田運動公園。名前だけではピンと来なかったんだけど、知多半島横断道路のすぐ裏。日ごろ半田に来るときに車で通る道だった。なんちゅう遠くまで歩いてきたのか。知多半田の駅からずっと歩いて駅3つ以上。自分で人間やればできるもんだな!と感心した(←たいしたことないっちゅうに)。 なんだかんだ言って、結構楽しかった。地元をじっくり歩く機会というのはあんまり無いので、こういうのもいい機会かなと。新美南吉ゆかりの地巡りとかコースは結構作れるかも。皆さんも宜しければ、古きよき半田の街を歩いてみてはいかが? -2003.09.27-
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