Back

10月13日(水)
【スケジュール】
 1.渓谷ロンダは闘牛の街
 2.セビリアとコロンブスの関係
 3.とうとう最後の地バルセロナへ

渓谷ロンダは闘牛の街

コス・デル・ソルの朝焼け この日は旅行中一番早起きの6時45分モーニングコール。外はまだ真っ暗で日の出前。あちゃ。なんだかすごい真夜中気分だよ(苦笑)。7時30分カバンを部屋の前に出して朝食へ。窓際の4人席をGETする。あちらこちらにツアーのメンバーがいたりする。近くに行けば挨拶なんかもするけども。窓際には微妙にすれ違いで大きなテーブルでも別のテーブルで食べてたり。そんな感じ。今一歩仲良くはなれないのかな?近づけそうで近づけない関係。食べているときにちょうど海側の窓が朝焼けに染まった。結構神秘的な色合い。部屋に戻って写真を撮らなくちゃ、なんて考えていた。
8時30分出発時にちょうど朝陽がいい感じに海側から上がってきた。コスタ・デル・ソルはなんだかもうホント素敵(笑)。今度はゆっくりコスタ・デル・ソル一週間でもいいくらい。さすが南のリゾート!って感じ。自宅も海の近くだけど(笑)、やっぱ旅先の海は楽しいね。
この日も前日同様バス一番前の席をGET。昨日は偶然だったけど、今日は意図的に。あまりこの席ばっかりはいけないだろうなぁと思いながら、ここは永安さんに一番近い席なので(笑)。バスでこれから渓谷の街ロンダへ。トレモリノスからはだいたい1時間30分程度。
バスの中で永安さんがグラナダで「アルハンブラの思い出」の曲を用意していたのにかけ損ねた!と言っていた。私の頭の中ではずっとまわっていたけどね(爆)。そういえば、と思い、作曲者は誰でしたっけ?と訊いてみた。前日からどうしても思い出せなくてちょいと気持ち悪かったから。思い出せたのは「タ」がついたとかカタカナ3文字だった(笑)とか。これが合ってるかどうかもイマイチ自信がなかったけど。永安さんもYちゃんも知らないみたいだった。
「物知り博士にメールすると多分すぐに返って来るよ」と永安さんは物知り博士にメールで確認してくれた。程なく返事が返ってきた。答えはタレガ。お、私の記憶も珍しく嘘をついていないではないか(笑)。ってか、返答が早い!さすが物知り博士!(笑)
ロンダは結構上の方にある街のようで。途中どんどん山を登っていく。途中バスのちょうど正面に「モロッコの双子山が見えますよ」と永安さんが言った。「ジブラルタルはちゃんと陸でつながっているのがわかります」と。一番前の席に陣取っていた私たちはもちろんすぐにそれを見つけた。ミハスよりももっとはっきりと大きく見えた。ところが、バスの正面に見えていたので多分後ろの人たちは見えていない。バスが曲がると左側に見えるはず…と言ったものの、そこには障害物があって結局見えなかった。「うわ、最悪…私だけ見ちゃった?」と永安さんが呟いているのが聞こえた(笑)。いえいえ、とりあえず、前方に座っていた少なくとも8人は見てました。ご安心を(苦笑)。「上に行けば見えるのはわかっているんだけど、ごめんなさい〜」と。その後、しばらくして問題なく皆さんにもモロッコと陸続きのジブラルタルをご覧いただけたので一言書いておく(笑)。
しかし、すごい。ヨーロッパに来てアフリカ大陸が見えるなんてなんか感動的。「アルケミスト」を読んで以来、スペインからモロッコへ渡ってみたいと思っていた。モロッコの山を見ながら、本当に渡れるんだ!と体感した。次回は是非スペインからモロッコへ渡ろうツアーを企画しようと心に決めた(爆)。
しかし、山の上の方にひょっこりとある集落が面白い。交通の便は悪いだろうけど、地中海は眺められるし、庭にはそれぞれプール付きだったりする。ちょっとした別荘地だ。
そして、ロンダ到着。天気がよく暑そうでいて、日が当たらないとわりと涼しい。そんな感じ。標高750mのところにある街。 危うい展望台(笑)
ロンダの街は旧市街と新市街に別れている。その二つを挟んで深い渓谷があり、ヌエボ橋(新橋)がその二つを結んでいる。元々旧市街だけだったところ、人口が増えたので新市街ができたとか。新橋ができたのは1793年だけど、その前は渓谷の下の方まで行かなければ渡れなかったらしい。その橋からの眺めがまた絶景!
街は高いところにあるのでどこからでもパノラマな風景が楽しめるのだけど、最初に行った展望台がすごかった。景色はもちろんパノラマなんだけど、その後にその展望スペースの向かい側にまわったら!あっとびっくり。自分がどんな危うい場所にいたか愕然とした。とりあえず、写真でご確認あれ(笑)。(ガイドさんにはそう言われていたのだけど(笑)) ロンダの新橋
新橋を見たあとに新橋がどんな感じになっているかを見るために、その下の方へとまわってみた。なかなかすごいことになっている。かなり深い渓谷に頑丈に造られたんだというのがよくわかる。なかなか見応えのある景観だ。
この広場で解散となり、50分程度のフリータイムとなった。とりあえずガイドさんについて上の方に戻ったら、生ハム屋さんがあってシマダさんご夫婦(仮名)が生ハムを購入するのを助けて欲しい(だったか?)とガイドさんに頼んでお店に入っていったので覗きに行った。テニスのラケット型の生ハムがたくさんぶら下がっている。ワインもたくさんあった。Yちゃんはワインを買って帰る予定だったので興味深げに見ていた。シマダさんご夫妻はちょっと高めの生ハムを買っていた。お店を出てから、ちょっと食べてみる?と言われたので一カケつまませてもらった。これはうまい!…実は生ハムはあまり好きではない。嫌いなわけではなく好んで食べないという意味だけど、これは本当に美味しいと思った。いやぁ、生ハム屋さんについていってよかったな(笑)。美味しいものはやっぱり美味しいらしい(爆)。
まあるい闘牛場! 近くのお店のポストカードでよさげな場所があったので、近くにいた永安さんにこれはどこかと訊いてみた。どうも旧市街らしい。行きたいなと思ったけど、闘牛場に行くことを考えるとちょいと時間が足り無そうだ。旧市街は諦めて闘牛場へと向かう。キレイなトイレがたくさんあるって言ってたし(笑)。というわけで闘牛場だけど、なるほど中はイメージしていた通り。ひょーっって感じ。テレビとかで見た闘牛の映像を思い出しながら、丸い観客席にちょこっと感動する。18世紀に完成した現存するスペイン最古の闘牛場は結構巨大な円形ドームで136本の重厚な石柱が並び、歴史の重さを感じさせてくれる。近代闘牛の父と呼ばれるペドロ・ロメロが生まれたのもこのロンダだそうだ。二階席に上がっていく階段はタイルでキレイに造られていた。闘牛場の一角には闘牛博物館があって名闘牛士が着用していた闘牛の衣装などが展示されていた。なんだかんだ言って結構ゆっくりしていたので、闘牛場だけで時間がなくなってしまった(苦笑)。


セビリアとコロンブスの関係

午後はセビリアへ向かう。セビリアといえば、カルメンが住んでいた街。カルメン好きの私としてはなんとも感慨深い。カルメンが働いていたとされるタバコ工場は現在セビリア大学になっているという。てか、カルメンってホントにいたのか???(笑)
さて、バスを降りてまずはムリーリョ公園とかそこらへんの緑の中を歩いた記憶が。やしの木なんかが生えているなんだかリゾートチックな場所で。今となっては記憶が遠いのだけど、確か土を見て欲しいと言っていた。ラ・マンチャの赤茶けた土と違ってここの土は黄色いのだ。同じスペインでもだいぶ雰囲気が異なるようだ。大きな木が立っていて、それはゴムの木らしい。
食事をした場所はサンタ・クルス街の一角。付近にAgua(水)という通りがあって、そこは昔水道管が通っていたとか。そんな話が記憶に残っている。昼食はミートボールとアイスクリーム。ここの昼食はなぜかあまり記憶に残っていない。30代くらいの女性二人組みと同席した。彼女たちは新潟から来たと言っていたけど、地震は大丈夫だったのかな? サンタ・クルス街の広場

昼食後、ほんのちょっとだけフリータイムが。レストラン近辺にお土産屋さんがたくさんあったので、みんな行きたいでしょ?ってことで。遠慮なく、お店を回らせてもらった。ちょうどすぐそばが広場になっていて、ベンチがセビリア陶器で出来ていた。お土産屋さんの横に闘牛のポスターがあったりとなんだか面白い(ポスターはお土産かもしれないけど(爆))。ここらへんは元々ユダヤ人居住区だったらしいが、15世紀末にユダヤ人が追放されてからは貴族など裕福な人たちがその邸宅跡に移り住んだそうだ。白い街並が特徴的。
その後現地ガイドの方(なんて名前だったかしら?)にカテドラルに案内された。このカテドラルはイスラム支配時代の大モスクを基礎に建てられている。とんでもなく大きいこのカテドラルは世界の三大カテドラルの一つらしい(他にはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院)。中庭にはオレンジの木がある。このときはまだ緑だったけど、オレンジの木は街の至る所にあるのだ。が、食べることはできない。かなり苦いらしい(笑)。飾り用のオレンジの木。見分け方は葉っぱだそうだけど…(笑)。カテドラルの横についているヒラルダの塔は元々はモスクの脇についているミナレットだったようだ。ブルーモスクのミナレットを思い出しながら、この元々のモスクがいかに大きかったかが実感できる。非常に美しい塔。まずは30分程度のフリータイムをもらった。ヒラルダの塔はスロープになっていて上り15分程度とのこと。行きたい人は行ってくださいって!ガイドのお兄さんは行きたくないらしい(笑)。
「私も久しぶりだから上って来るワ」と永安さんが言ったので、永安さん先頭でみんな上りはじめた。結構いいペース。ま、フリータイムだから特に合わせて上る必要はないのだけど(笑)。最初は軽口をたたきながら上がっていたものの、最後には結構静かになっていた私(笑)。それでも、螺旋階段よりは上りやすいかなぁとか考えながら。苦労しただけあって、上からの眺めはもちろん絶景。こういう歴史的な街は上から眺めるとホントに素晴らしいと思った。下りは5分程度で完了。結構簡単だった。
カテドラル コロンブス?(笑)の柩 その後カテドラルの中へ。一番の見所は中央礼拝堂の主祭壇。キリストの誕生、受難、死など36の場面が浮き彫りで表現され実に豪華な装飾となっている。また、サン・アントニオ礼拝堂にはムリーリョの「サン・アントニオの礼賛」という絵が飾られていたが、サン・アントニオの少し上のところに傷みたいなものがあって、どうもここだけ盗まれたことがあるらしい。これを見ているときになんか警報みたいなものが鳴ったのだけど、特に誰も来なかった。ガイドのお兄さんが「またサン・アントニオが盗まれたか?」なんて言っていた。またここにはコロンブスの墓の記念像がある。カスティーリャ、レオン、ナバラ、アラゴンの4王国の騎士に柩が担がれているのだけど、コロンブスの柩はキューバ、ハバナの大聖堂から、キューバ独立の際セビリアに返還された。コロンブスという人は死んだあとも世界を旅してまわっていたわけだけど、最近DNA鑑定をしたらどうもコロンブスの骨ではなかったらしい…(苦笑)。 スペイン1のスペイン広場! ガイドのお兄さん曰く、「誰のお墓かわかりませんが、写真を撮る人は撮ってください!」だって(笑)。もちろん、撮りました(爆)。そうそう、コロンブスが航海に使ったビクトリア号(だったか?)は今、愛・地球博のために愛知県に向かっているらしい。こんなところで「愛知」なんて言葉を聞こうとは(笑)。
バスでいくつか説明を受けたあと、スペイン広場へ行った。ここは1929年のイベロ・アメリカ博覧会のスペイン館だったところで、地元のパビリオンだったので大きくしなければということで、かなり大きな会場となっている。ガイドのお兄さん曰く、スペインにスペイン広場数あれど、ここが一番美しいそうだ。半円形の建物に沿って置かれたベンチにはスペイン各地の58の歴史的場面が描かれている。なかなか見応えのある建物だった。


とうとう最後の地バルセロナへ

この後セビリアの空港からバルセロナへ飛ぶので、ガイドのお兄さんはバイクでチケットを持ってチェックインに走る。セビリアの空港は小さい空港なのであまりフライトが無いせいか、ここだけポーターがいなかった。後にも先にもバスからカウンターまで自分のカバンを運んだのはここだけだった。
空港によくある赤外線の荷物検査と金属探知のゲート。通ったら久々にブザーが鳴った。あちゃ。なんだろう、ウェストポーチもとったし、何かあったかなぁ…???とそこで思い出した。観光用のイヤフォンガイドだ。これをポケットから出すのを忘れていた。ポケットから取り出して、ゲートのお兄さんにこれ?みたいにジェスチャーすると「あー、それだね」って感じで納得の表情。取り出してゲートを通ったら、ブザーは鳴らなかった。ところがちょっと離れたところにいたお姉さんが寄ってきてカバンを開けろという。全然心当たりがなかったから、思いっきり嫌そうな顔をしてしまった。結構詰まってるのであけると後が面倒だ。今までカバンを開けろといわれたことは一度しかない(←あるんかいっ(苦笑))。何やらごちゃごちゃ引っかきまわしてくれた。PDAを見たり、薬を見たり。中に入っている風邪薬のビンをじっくり見ていたので風邪薬だといいたかったのだけど、「medicine for cold」と言ってからcoldでよかったか?とか「風邪を引いています」と文章で言うときはcoldを使うけど「風邪」単体ではcoldは使わないのか?とか一瞬でいろいろと考えて通じてるんだか通じてないんだかわからん英単語を並べていた(苦笑)。お姉さんは喉を指差したので、そうそうとか言いながら(苦笑)。自分でちょい情けなくなった。何でもいいけどこういうパッケージって全然英語表記が無いんだよね。英語で書いておいてくれれば全然問題ないのに!と思った。隣りにいた永安さんが「怪しいものが見つかれば終わるから大丈夫。見つかるまで探すけど」とのたまった。いや、ホントに何にも入ってないんですって。結局お姉さんは何にも見つからずに諦めて行っていいよと笑顔で言ってくれたので笑顔でありがとうと言っておいた。全然ありがとうぢゃないけどさ。永安さんには「ホントは諦めちゃいけないと思うんだけど」と(苦笑)。…をいをい。
18時45分発のイベリア航空の飛行機でバルセロナに向かう。永安さん曰く、イベリア航空が時間通りに飛ぶわけないって(笑)。確かに飛行機が前のフライトから到着したのが結構ギリギリだったので絶対遅れるなと思ったら、意外や意外、結構搭乗は早かった。比較的時間通りに出発。バルセロナ空港へと降り立った。
バルセロナ空港にはポーターがいたので、カバンを自分で運ぶ必要が無い。しばらく待つように言われたので座っていたが、この旅行はホントに調子が悪くて耳がボーっとしていて半分聞き取りにくくなってたり、鼻が詰まって苦しかったりとひどい状況だった。時間がありそうだったのでトイレに行って鼻をかむことにした。行くとわりと遠くって。その上、ちょっと座ってたのが仇になった。鼻をかんでトイレから出てくると、向こうからYちゃんと永安さんが歩いてきた。
「いた、いた、よかった」と言っている。ありゃ?遅かったか?(苦笑)
どうも、カバンが比較的前の方にそろっててあまり時間がかからなかったようだ。しかも、数えたら31人いたらしく、「Nさん(私)見てないけどそろってるね」って行っちゃいそうになったって!な、永安さ〜ん、一体誰を数えたのさ!(爆)
Yちゃんにちゃんと言っておいてよかったなぁ…。ここで置いて行かれたらまぢで路頭に迷うって!(苦笑)
調子が悪い話をしたら、永安さんに「だから声がハスキーだったんだ。そういう声だと思ってた」と言われたので、「美声をお聞かせできなくて残念です」と答えておいた。

そんなこんなで無事宿泊予定のホテルバルセロ−サンツに到着した。ここは結構よさげなホテルで。国鉄と地下鉄のハブ駅直結のホテルだった。フリータイムのあるバルセロナでは最高の立地かも。
夕食はフライトが遅れなかったので、きちんとした食事だった(遅れたら軽食になる予定だった)。トマト・チーズのサラダとチキン。スペイン料理というよりは上品なホテルの食事って感じだった。桃のジュースを頼んだらこれがまた絶品で。「スモ デ メロコトン」という桃のジュースという意味のスペイン語を教えてもらった。いやいや、実に旅行5日目にして。もうちょい早く飲んでみればよかった!(笑)
この日は同世代くらいの美男美女 ツムラ夫妻(仮名)と同席で。Yちゃんの現住所とご主人の実家の住所がご近所で地元ネタで盛り上がっていた(笑)。同世代なのにガンダムネタにノリが悪かったのが納得いかないが(爆)。